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「衰退への兆し」
著・武井俊明
(15年3月12日公開)

 卓球は「やるスポーツ」から「観るスポーツ」に変わった。少なくとも近年のルール変更と、国際卓球連盟会長の思惑の上では……。不条理で身勝手なルール変更。それに対する現場の声を元に、会長を断罪し叛旗を翻す! 自らも半生を捧げた競技だけに、その思いは熱く深い!

#01 目に浮かぶ戸惑い

#02 会長を切るべきだ

#03 回転がかかりづらい




目に浮かぶ戸惑い

今から三年前、卓球のルールが変わった。今までの二十一点制から、十一点制にだ。このルール変更により、今までは長期戦の戦いであったものが、短期決戦へと移行することになった。私たちプレーヤーの考えだと、二十一点制は長丁場である。それが半分になるということは、短期決戦になることを意味している。そして、ボール(ピンポン)の大きさも変わった。今までの三十八ミリから四十ミリへとだ。少し変わっただけと思われがちだが、しかし大きく変わった。まずは、球にかかるスピードが減速してしまう(具体的な数字を卓球協会に尋ねたが分からないとのこと)。スマッシュと呼ばれるスピードボールも、威力が半減してしまう。それを売りにしていた選手たちの戸惑いが、目に浮かぶようだ。そんな、選手たちの意見など関係なしのルール変更が行われた。ボールにスピードがかかりにくくなった以上、と言うか、球のスピードが減速してしまう以上、試合の中では、自然とラリーが増えていく。ルール変更の狙いはまさにそこにあると、国際卓球連盟の会長アダム・シャララは発言している。「卓球というスポーツは、観る人がいなくなってしまったら滅びてしまうだろう」。この会長の発言には首をかしげてしまう。私は、スポーツは、観るよりもやるものだと考える。しかし、会長の考えは違う。卓球は観せるスポーツだと公言している。十一点制になったのもそうだ。二十一点というダラダラ長いだけの試合よりも、十一点という短期決戦のほうが、観ている人は楽しいだろうとの理由でルールは変えられた。選手たちの意見など関係なしのルール変更である。
 ルール変更に伴い、実際の選手達は会長の意見に対し、どのような考えを持っているのか。把握するために、日本卓球協会に問いあわせたところ、「決定してしまった以上、そのルールでやっていくしかない」と、繰り返す。そして、次のようにも語っていた。「日本はまだ発言力が弱いんですよ。だから、一応正式な会議の中で決まったことなんですけど、素直に従っただけって感じですよ」。会長の発言力は大きい。誰も逆らえない。たとえ間違っていてもだ。
 実際にプレイしている選手にも、話を聞いてみた。皆一様に戸惑いを隠せなかったと語る。栃木の社会人卓球部の菊地さんは、「いきなり言われたよ。今日から十一点制に変わるよって。怒りとかよりも、なんで?って思ったよ。俺は試合が始まって、だんだんとリズムをつかんでいくタイプでさ。いわばスロースターターってやつ。逆転勝ちとかけっこう多かったんだけど、いまの短期決戦じゃあ俺の持ち味が出ないね」。彼はまさしく、今回のルール変更であおりをくらったタイプであろう。長期戦から短期戦へ移行すると、今までの彼の持ち味が、発揮できない。他にも、「だって、いきなり球が大きくなったって困るよ。全然、今までの感触と違うんだもん。下手したら、これから卓球始める奴のほうが、有利なんじゃないかとすら思うよ。球にかかるスピードも違うし、違和感があったよ。昔のボールでの練習はなんだったの?みたいなね」。練習の内容に何か変化はあるかとの問いには、開口一番、「やっぱり、今のボールに慣れるのが先決だよ」とのことだった。
 誰一人として、ルール変更に肯定的な者はいなかった。不満の色が、皆の顔には浮かんでいた。中でも、もっとも怒りをあらわにしていたのは二十一歳の大塚という男だ。小学校時代から卓球をしている彼は、人生の半分は卓球に費やしているという。彼曰く「だって急すぎでしょ。今までやってきたことは何なの?って感じだよ」。ルール変更については、皆、一様に同じ発言を繰り返した。「急すぎ」、「今までの練習はなんだったの?」、「俺等の意見も聞けよ」とのことだった。

 
会長を切るべきだ

 卓球は、間違いなく滅びる。このような会長の独断で、ルールを変更するようなやり方を繰り返していてはである。まずは、会長を切るべきだ。協会自体が、例え会長に対してでも、意見をしないといけない。上にたっている者がこのような考えでは、スポーツとして成り立たなくなる。ルール変更が私たち選手にもたらす影響を、もっとちゃんと考えるべきではあるまいか。そもそも、スポーツとはやるべき者がいなくなったら終わりだ。スポーツ自体の、存在意義がなくなってしまう。プレーヤーを無視して、会長は観るべき者を優先してしまっている。この時点で間違いである。横暴すぎる。
 ルールが勝手に決められている。スポーツをやる人間だったら、ルールが変わるということが、プレーヤーにどれほどの影響を与えるか分かるはずだ。協会の人だって卓球をやっていたはずだ。なら、なおさら分かるはずだ。しかし、平気でルールを変えてしまっている。あなたがたは、もう卓球を実際にやらない立場になってしまったから、いいかもしれない。卓球というスポーツを、もう事務的なものとしか見ていないから、いいかもしれない。だが、少しは私達選手の意見にも耳を貸すべきだ。
私も、卓球を長い間やっている。小学、中学、高校とやっていたから、もうかれこれ十年は卓球というスポーツに接している。だから、私自身も被害者である。私も、突然、当時の顧問の先生に言われた。「ルールが変わる」、「ボールが大きくなる」と。しかし、私は楽観主義者なため、「あ、そうなんだ」ぐらいにしか思っていなかったが、むろん、いい気持ちはしなかった。「ボールに対して、インパクトが違う。回転が、かかりづらい。やりづらい」、まずはそれに尽きる。ボールに回転が、かかりづらい。元来、サーブを得意としていた私には非常にキツイ。サーブというのも、多種多様である。ドライブと呼ばれる縦回転のボールであったり、横回転、カットと呼ばれる下回転、回転がまったくかからないナックルボール等。私はこれらの球種、種類、回転の切れ味で勝負してきた。点を稼いできた。その私にとってみると、非常に戦いづらい。今までサーブで稼いできたアドバンテージはないに等しい。
今まではサーブの種類で、ある程度試合を組み立てられた。相手のウィークポイントはどこかなど、サーブだけで、ある程度の判断ができた。昔の二十一点制の試合では、十点位までは、ほぼ様子見であった。いろいろなことを試す余裕があった。前半の間の十点までに、相手のウィークポイントを探し出し、十一点以降の戦いから、それを突くというのが、私の基本的な戦い方であった。しかし、ボールに回転がかかりにくい。よって、どのサーブでも、極端にいうと、球への回転は一緒だ。まさに、やりきれない思いでいっぱいだった。そんな時、会長の驚くべき発言が、驚くべきインタビュー記事が、『卓球王国』という本に載っていた。「ボールはもっと大きくしてもいいと思う。今は四十ミリだが、四十二ミリでも四十四ミリでもいいと思う」。ふざけるなと怒りが込みあげた。
「ボールが大きい方が、カメラにボールがよく映り、試合を放送しやすい。卓球を観る者が楽しめる」
 やはり、これらの発言の中には、会長の、卓球は観せるスポーツであるべきだとの考えが伝わってくる。
 私は卓球をやっている者が不憫でならない。なぜルールが変わったのか、知っているのだろうか。そこのところを日本卓球協会の方に聞いてみた。
「ルールが変わった時、確かに各都道府県に通知しました。ただその中には、これこれこういう理由でルールが変わったということは記されていないんですよ。ただこのように変わりましたとだけしか、記されていないんですよ」
 やはり、プレーヤーたちは知らないのであろう。なぜルールが変わってしまったのか。
 もしかしたら、知らなくて正解なのかもしれない。もし仮に、皆がこのルールは、会長が独断(ルール変更に関しては、国際卓球連盟の会議の中で決められる。しかし、会長の発言力は絶大で、彼の意見に皆、賛成せざるを得ないのが現状)で変えられていることを知ってしまったら、卓球界はどうなってしまうのだろう。会長の独断でルールが変えられてしまった、この現状を皆はどう思うのであろう。会長の独断でのルール変更を皆が知ってしまったら、選手が怒りだすのは目に見えている。会長批判が出るのは、必至である。会長は、そこで初めて気がつくのかもしれない。観る者よりも、私たちやるべき者のことを考えるのかもしれない。そう考えると、私の今書いている原稿は、決して無駄にはならないであろう。多くの卓球を愛している者が立ちあがれば、今の卓球会を会長の魔の手から救えるであろう。ただ、会長が、それを聞き入れてくれるような人ではないことは、ルール変更の件で、もはや周知の事実ではあるが。まずは上が変わらないと。それじゃなくても、卓球というスポーツはマイナーなのだから。
 卓球会のスーパースターでもあるワルドナー氏は、ルール変更に対し、不快感を露わにした。会長批判とも受け取れる発言を、『卓球王国』という雑誌のインタビューで繰り返した。「何を考えているのか判らない。四十年間変わらなかったんだ。それを性急に変えようとしている。卓球は健全な方向に発展させねばいけないのに」

 
回転がかかりづらい

 ルールが変わって、早三年が経過した。現在の卓球は、ルールが変わったことで、功を奏しているのかどうか。そのへんの話を、宇都宮の社会人卓球部『卓心会』の人たちに聞いてみた。「まあ、さすがに慣れたよ。郷にいっては郷に従えってやつだね。戦い方とかも自分なりにつかんできたし、ボールの感触にもさすがに慣れたよ。でも、どっちがいいかって聞かれたら、昔のルールの方がいいね。間違いない。それは声を大にして言えるよ。ボールは速い方が面白いし、回転とか、かかった方が面白いしね。そういう、回転のかかった球を、打った時もいいし、そういう球を返した時も良い気分になるしね。やっぱりスピードもあった方がね。明らかに、ボールが大きくなってスピードが遅くなってしまったしね。むしろ、昔の方が、観てる人は面白いんじゃないかな。だからルールが変わったことは、プラスにはなってないと思うよ。あくまで俺はね」。ルール変更はプラスになっていない。他の部員達も、同じような発言をしていた。やはり、昔のルールの方がいい。「やっぱり、あのスピーディーな感じが最高だね。一瞬たりとも気が抜けないあの感じは病みつきになるね。時間もいっぱいあって、次はこれ、次はこれという風にいろいろ試せる感じがたまらない。相手のウィークポイントを見つけた時なんか、もう感動ものだよ。この試合もらったーみたいなね」。
 私が今まで話を聞いた人たちは、ほぼ私と同じ考えの持ち主だった。この須藤さんのコメントがそっくりそのまま、卓球の魅力として、当てはまる。私と同じ年代の者が、一番あおりをくらっているということも分かった。高校時代の卓球部の仲間にも、話を聞いてみた。
「だって、あの頃が一番練習したと思うのよー。まだ昔のルールの、あの時がさー。それがルールが変わって、ほぼ一からのやり直しでしょ。まあ、さすがに今は慣れたけどさ。昔のルールの方が、スピーディーで面白かったってのは事実だね」
 卓球を良く観ているという、私の後輩でもある金子君のお母さんにも、話を聞くことができた。私が、会長の独断で、卓球を観せるスポーツにしたいから、ルールが変わったことを告げると、明らかに困惑を表情に浮かべていた。
「え? 卓球を普通の人が観ても、面白くはないんじゃない?」
 ではルールが変わる前と比べると、どちらの方が面白いのか。
「やっぱり昔の方が面白いわよ。なんかスピード感があって、観てて飽きなかったわ。でも今は、昔と比べると若干スピードが落ちたよね。だから、ボールは昔のままでいいと思うけどね」
 ルール変更は、卓球を観る人がいなくなったら、卓球というスポーツが、滅びてしまうとの理由で行われた。しかし、現にどうだろう。実際にやっている選手からも不満の声が飛び交い、卓球を長い間観ているという人からも、昔のルールの方がいいという意見しかでない。観せるということにこだわった結果、卓球というスポーツは路頭をさまよい始めている。下手をしたら、このまま滅びてしまうのではないだろうか。いや、現実的にありえない話ではない。会長の行動はすべて裏目に出ている。やはり彼が卓球界のボスでいるかぎり、衰退することはあっても、栄えることはないだろう。卓球のルールに関して同じ意見を持っている同士、卓球をやることがある。その時には、もちろん三十八ミリのボールで、そして二十一点のルールのままでやっている。これは会長へのささやかな抵抗である。 

 無言の抗議に そこで私は考えた。昔のルール(二十一点制、三十八ミリボール)の方が好きだという者を集めて、卓球同好会を創るという壮大なプランを思いついてしまった。自分でホームページ等を創り、言い方は悪いが「サクラ」を使って、書き込んでもらう。もちろん私に賛同の意見を私のホームページに載せることにより、注目を集め、すこしずつ人数を集めていこうと思う。(ルールが変わって、本当に卓球はつまらなくなりました。皆、昔のルールで卓球をやりましょう。)実際、昔のルールの方が良いと思っている人は、腐るほどいるはずだ。ゆくゆくは一つの団体を創っていこうと思っている。プロレスの団体のようにだ。そして、十人程度でも集まれば、実際に皆で集まって、練習をし、大会も開いていこうと考えている。
 このような活動が、卓球協会の者への、無言の抗議になるだろう。会長も、自分の意見が少なからず、間違っていることに気づくだろう。仮に、自分たちが新ルールの方の大会から除名されてもかまわない。そっちのルールでやるつもりは、毛頭ない。私には失うものは、なにもない。しかし、協会には失うものがたくさんある。いわば、守りに入っているということだ。それならば、私は攻めていきましょう。攻撃は、最大の防御である。そして、卓球協会が、この私の活動に目を向けてくれれば、私の勝ちである。その時に初めて卓球は滅びずにすむであろう。

参考文献 
飯野健「スターの怒り」(『卓球王国』二〇〇一年三月号)卓球王国
取材協力
栃木県社会人卓球部(卓心会)
栃木県W中学校卒業生
財団法人日本卓球協会



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