井家上氏は、『百年の誤読』を次のように評価します。
「書き方も視点も非常に面白い。著者である岡野さんと豊崎さんは、若手批評家のなかでも、かなり読む目がしっかりしている人たちだ」。しかし、惜しいかな、この本では「彼らのその他の著作と比べて、取りこぼしてはいけないことを取りこぼしてしまったかの感が否めない」。
氏は、その例として、徳冨蘆花(とくとみろか)の『不如帰』に対する彼らの解説を上げます。
「彼らは、『不如帰』の初版はたった2000部でしかなかったという言い方をしているが、決して『たった2000部』などではない。当時は、今とは違って、誰も彼もが大学まで行くような時代ではない。読者層も、今のよう多くはない。2000という数字は、当時の新聞発行部数とほぼ同じ。それに『不如帰』は最終的に9000部売れたといわれている。当時としたら、これは驚異的な数字です」。
氏は、作品が書かれた時代に対する彼らの認識の甘さを、不満として述べます。「そうした部分が、このテキストには多々ある」。本の性格上、仕方がないのかもしれないが……、としつつもです。
そうして時代背景を見ないことには、当時、たとえば「政論小説」が多く書かれ、それらがベストセラーになった理由も解らないだろうと指摘します。
「現代の価値観から見たら、なぜこんな作品が売れたのか、理解に苦しむかもしれない。しかし、当時の世相を調べてみれば、それらの作品には、共鳴を呼ぶ思想や物語りの設定があることが解る。テキストは『誤読』と表明しているが、まさかわざとそうしたわけでもないだろうが、その辺に対する目配りがちょっとラフに過ぎる。時代背景に対する目配りを怠ってはならない」。
そう主張する氏であるから、たとえば著者の一人、岡野さんがテキストのなかで文学の衰退=「だらしな派への以降」という言葉で語る日本の出版状況の変化(1970年代のタレント本や実用書のヒット)の謎についても、彼らとは違い、次のように明朗に読み解いてみせる。
「安保や学生闘争以降、人々の関心が政治から経済に移行したことが、それらの本のヒットの背景にはある。思想を映し出すものが、文学から、映画、ロック、演劇、ファッションなどへ分散、拡散していったことも、文学から厚みを失わせ、その衰退につながっていった」。
ベストセラー本は、そのベストセラー本が生み出された時代を映す鏡である。一冊のベストセラー本から、その時代を探ることができる。本を読むときには、それ故、「その背景にある時代まで読み取ることが大事だ。そうしなければ、その本の本当の意味も価値も解らない。その本を読んだことにはならない。皆さんには、ぜひ、そうした突っ込んだ読み方をして欲しい」。井家上氏は、最後にそう述べて、話を締めくくりました。
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